全国学校図書館協議会選定図書

Message

「あなたは、あなたのままでいていいんだよ。」
等身大の自分を認める勇気がもらえた。

群青色の色鉛筆が、
すきになった。
自分を前より、
すきになった。
そうして誰かをも、
すきになった。

落合恵子(作家)

2日で読みました。
75のお爺さんも、ドキドキ、ワクワクしながら読みました。

最後の章では、不覚にも涙が溢れそうになりました。
何より僕は、彫刻家として生きて行く事の難しさは、骨身に染みています。
15の春に、私は美術の世界で生きていく事を決めました。
それから60年、無理かなと思ったことは何度かありましたが、辞めようと思ったことはありませんでした。
ずっと、こう考えていました。
ただ生きて行くだけなら簡単な事、家庭を持って家族を養って行くのも、ちょっと頑張れば出来る、それだけでは、存在してきた意味は無い。
ものつくりは、ゴールのないマラソンの様なモノです、ただただ作り続けるだけです。
楽しいねー

吉田穂積(彫刻家)

蟹江さんの、あの飾らない透きとおるような絵の世界が、この物語の中にも在る。
芸術、あるいは芸術家とは何か。何だろ?

新垣隆(作曲家/ピアニスト)

昔々、初めて杏さんに会った時「すごいオーラのある女優さんがいる劇団だなあ~」と思った。それが役者さんではなく、裏方の舞台美術家さんだと知った時は仰天驚いた。イヤイヤイヤあなたが女優さんじゃなくてどうする、と。ただ同時に彼女の手から創られた作品が発する力強さにも圧倒された。なんとなんと天は二物を与えたものじゃのう、と。

その後、東日本大震災復興で福島の小学校を周ってアートとお芝居と音楽が混じり合ったヘンテコなイベントを一緒にしたり、最近は毎年夏に練馬や新宿で子どもたち向けのアートイベントの音楽隊としてかかわらせていただいたりと、長い友達としても今も付き合わせてもらっている。

そんな杏さんが今度は小説まで書いたとはこれまたビックリ。ズルイズルイゾ天は三物を与えたのか!と。もちろん読み初めからマコは杏さんを自然に投影して僕の心臓近くにニョロニョロと入っていった。「ふふっ、杏さんならこんな行動しそうだな」とちょっとニヤニヤしながら。そして僕の周りにもいそうなオッサン先生との出会いと別れ。どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのかは判別できないけれど、僕の前ではいつもニコニコ酒を飲んでいる印象の杏さんだけど、それなりに人生いろんなことがあったんだろうな、と想像に難くない。

「美しきムダ」どころか桶とか鍋とか叩いて「しょうもないムダ」を長年過ごしてきた僕にとって、絵筆をペンに(パソコンかな?)に持ち替えて「こんなみんなの琴線に触れるスゴイ小説を大好きな友達が書いたよ!」と街に出て拡声器で自慢して触れまわりたいのがショージキな気持ちだけど、流石にそこまではできないジレンマ。ククク、悔しい~。

これからも一緒に「多大なるムダ」を撒き散らかして人生突っ走っていければ、これにまさる幸せはありません。それによって多少の被害をこうむる方、ゴメンナサイ。苦手だったら僕らからスタコラサッサと足早に逃げてください。

そして杏さん、どうか今後も長~いお付き合いの程、宜しくお願い致します!

石川浩司(元たま/パスカルズ/シンガーソングライター)

とうの昔に蓋をしてしまっていた本質に向き合ってみようと思うと、そうはいってもねと、はぐらかしそうになったり、中学に上がる頃の私を連れてきては、あの頃好きだったものや風景をありありと蘇らせてくれたり、小学4年生の息子や中学1年生の娘に思いを馳せる小説だと思っていたのに、大人になってしまった私のためにあるような、どうしようもなく愛おしい物語でした。
このタイミングで出会えてほんとうに良かったです!
ありがとうございました。

この本は、大人になってしまった人にこそ手に取ってほしいなと思います。
私は、中学校に上がる時の感覚を今もはっきりと覚えているのですが、自分を変えたというか、自由に考えることをやめたというか、それは大切な何かを「弔った」という感じに近いものでした。そうでもしなければ苦しい人生が待っていると知っていたのでそうしたし、それしかないとあの時は思っていました。
でも生きづらさから逃れるために、いつだって1番好きなことを選ばない代わりに安全で本質からずれた進み方は、気がつけば自分の生き方になってここまできたと、この本が教えてくれました。

将来の役に立たないとか、取るに足らないことだと仕舞い込んだまま、思春期の入り口の、もう子どもをやめなくてはならないと思っていたあの頃の、自分の中で自由に動き回っていた、私にしかない色を放つエネルギーを思い出させてくれました。

「遠回りしないと決めた、この道はまっすぐだ。」
マコのこの言葉は、ずっと蓋をしていた何かを、それこそプラスチックの虫かごの蓋を開けるようにして、大きな空へ放ってくれました。
「みんな、好きなことをやめなくていいんだよ。」
この言葉がリフレインしています。

私の中で、多摩川のサイクリングロードを、赤い自転車で駆け抜けるマコがいる。もう遠回りはしないと、今も心に響きわたります。平均値から外れたって、普通じゃなくたって、ひるんだって、まっすぐに。です。
そして最後の大人になったマコが、登場するシーン。たくさんの鮮やかな色に重なった深みのある白。これまでの全てを私にして、新たにはじめるあの感じ。大好きです。

山田友子(小学四年生男子、中学一年生女子の母)

描くってなんだろう。私の目の前にある景色を、どう切り取り、描き出せばよいのだろう。
一本の鉛筆から描き出される世界。

描き続けること、創り続けること、その重みと尊さ、「続ける」ことの困難さが、読み終わった後でずしんときました。

主人公が見た景色、出会った人、すべてが作品につながっていく。
愛おしさと苦しさがつまった、読み応えのある一冊です。

長島美紀(政治学者)

読んだ後に見えるいつもの景色が、色鮮やかに変わる。
「自由ってなんだろう?」
色彩豊かな言葉で綴られた物語。

吉田知明(劇作家/演出家)

「不思議」、「びっくり」、「きれいだなぁ」。
80年代後半の東京・日野市を舞台に、学校でも家庭でもない、「オッサンの家」というサードプレイスで、「ホンモノの体験・ホンモノの感動」を味わい、自らの道を歩んでいく小学生の女の子。
彼女が抱く葛藤は、果たして我々に「普通」とは何かを問いかける。人工知能が目まぐるしく進化する今だからこそ心に響く、まるでアートの世界に飛び込んだような、どこまでも自由な、感性と想像力の「たからもの」が詰まった一冊です。

堀川拓郎(日野市教育長)

数ページ読み進めると、小学生の主人公の物語が始まり、挿絵のように場面ごとの絵が浮かんでくる。所々インクが溜まったりかすれたりしている版画の線で、自転車に乗る主人公や、土手沿いにある風変わりな家に植えられた草花の絵が浮かんでは消えていく。

画家である物語の筆者の絵をよく知る私には、彼女の特徴のある絵柄で挿絵が浮かんでくるが、彼女の絵をまだ知らない人にはどのような挿絵が見えるのだろう。

物語はお絵描きが好きな小学生の主人公と、近所に住む彫刻家を軸に進んでいく。純粋に描く喜びに没頭する主人公に対し、彫刻家は破滅的に創作に没頭する。

自分の思いを絵や彫刻で表現する彼らは、悲しみや苦しみを創作で乗り越えていく、といった道徳の教科書に出てくるような物語を描くのではなく、楽しくても苦しくても作り続ける手を止められない、彼らのような人間の本質から目を逸らすことが出来ずにいる。美術の仕事に携わる者として、彼らのような表現者に向き合い続けていきたいと思う。

佃舞永(ギャラリスト)

主人公マコと同世代の子どもたち、それだけでなく、
いつまでも思春期のモヤモヤが心の中から消えないでいる大人たちにも、この本を手にしてほしい

「なたは、そのままでいていいんだよ」と
優しく傍にマコが寄り添ってくれる。

ほんとうに純粋で美しいものを感じて、心が動かされることに、もっともっと素直になって、本能のおもむくままに。「自分の感じを表現してごらん。それがあなただよ。あなたはあなたのままで素晴らしい。」そんなエールが聴こえてくる。

佐藤由弘(福島県大熊町教育長)

幸か不幸か、私の周りにもオッサンみたいな人達がいる。これまで音楽をやってきたが、縁あってオッサンみたいな人との出会いは途切れなかった。そういう人と距離をおきたがる人もいたが、好奇心旺盛な私はとても惹かれた。他を寄せ付けないオーラを纏っていたり、あるいは、敵意さえもつつみこんでしまう包容力があったり。一般社会のなかでは浮いてしまいそうな人もいるが、もれなく圧倒的な実力と説得力を備えている。

人の性格も芸術作品も、読み解くためには言葉以上のメッセージを抽出する読解力が必要なときがある。その読解力は、価値観の違う他者を認める力であり、未知の芸術的な表現を理解することにも繋がるように感じる。

「あの空の色」は「青」や「そら色」ではなく、「あの空の色」であり「あの空の色」でしかない。
その色を一般的な言葉で定義することよりも、曖昧さや余白に広がる「創造の可能性」と、未だ見ぬ他者ともわかりあうことができるという「希望」を信じられる人でありたい。

関口直仁(声楽家/音楽家)

マコはこれからも絵を描き続ける。
描く事で、おっさんや泰一さんとの会話を続けていくのだろう。

杏さんも描き続ける。
杏さんの心の中にいる人たちと会話を続けるために。
いや、会話ではないのかもしれない。

マコも杏さんも描き続けることで、私たちに語りかけているだけなのだ。
愛とは一方方向に放つことが本質であって、交わし合うものではないのかもしれない。
交わし合えたのならば、それは「有難い」こと。

『あの空の色がほしい』を読み、そんな事を思った。

田上麦文(中学校美術教諭)

本書は、基本的には絵が大好きな小学生マコの成長物語だ。それが輪郭だとすると両親、親友のユウ、そして「変なアーティスト」のオッサンなど、それぞれ魅力的なキャラクターをめぐる人事の相関は、まさにタペストリーのような複雑な色合いだ。
杏さんの版画やドローイングから響くような、
律動や色彩が生理的に感じられたのは幸せである。

これまで蓄積した言語力は、画力と同等の「地肩の強さ」を証明したと思う。それは、書きつづける力があるということだ。これは一読者の願望だが、「マコシリーズ」の続編を期待したい。
そう願う読者もきっと多く生まれるだろう。ひとつの物語の終わりは、新しい物語の始まりなのだ。「マコ青春記」の上梓をひそかに期待している。

三澤正男(編集者)

ドキュメンタリーのような小説に嫉妬した。
主人公の胸の内を著わす言葉は、クリアなレンズで撮った編集前の素材のようで、生々しくドキドキとさせられた。
感受性豊かな少女が日常の中で芸術の美しさと恐ろしさに触れながら、不器用に生き方を決めてゆく横顔。
「変」と言われたことのあるすべての人へ……

藤重道治(ドキュメンタリー・ディレクター)

誰もが他人と異なっていることに気づき認め合うこと、
異なっているからこそ全てを分かり合うのは困難で、絶え間なく伝え表現すること。

名作「リバー・ランズ・スルー・イット」を彷彿とさせる鮮やかな色彩と少女の成長を通して描かれる人生の機微の物語。

比嘉智明(中小企業診断士、女の子2人の父)

これからも絵を仕事として生きていくための決意を迫られる。

マコもオッサンも登場する全ての人たち、そして僕も、細い神経を揺らしながら、自信と不安の間を瞬間ごとに行ったり来たりする。

人や家族は、みんなそれぞれの事情を抱えながら、何食わぬ顔で生活をしている。
その抱えた事情は、何かきっかけがない限り知り得ることにはならない。
長い反抗期を終えて、実家に帰ったとき、家族でたまたまそんなような話になった。
「うちの場合はお前だった。」と兄から言われた。

僕は、休日のフードコートを見に行くのが大好きだ。
子供が水をこぼし、お母さんが布巾を探す。
お父さんはなんだか嬉しそうにしている。
みんなそれぞれの事情を抱えながら、何食わぬ顔で生活をしている。

ハヤカワケンゾー(イラストレーター/漫画家)

その部屋は思ったよりも広く、家具は真ん中に置かれたちゃぶ台のような机だけだ。木の節の模様が
くっきりと浮かび上がる黒く光る床板の上には、彫刻たちがあらゆる場所に静かに置かれている。そ
れらは、今にも動きたそうだ。耳を澄ませば息遣いが聞こえてくる。目を閉じてうずくまっている帽子
をかぶった坊やの焼き物も声をかければ、まぶたをひらいてきっと話しかけてくるだろう。(『あの空
の色がほしい』p58より)

某ドトールで珈琲飲みながら読みました。なんかずっと、ハラハラし通しの物語。

人生には勇気が要るってこととか、創作のこととか、絵と言葉のこととか、あと生きることとか死ぬこととか、窓辺に走馬燈のように浮かんでる、とか感じながら読了。

出かける時、空は碧く、トンビが鳴きながら飛んでいた。
Time is on my side byミックジャガー。

芝田勝茂(小説家)

絵を描くことが大好きな女の子、マコちゃんが近所の不思議な家に住む「オッサン先生」と出会い、もっと絵を描くことが好きになっていく。素敵な物語です。たくさんの子どもたちに読んでほしいと思います。

マコちゃんにとっては、真っ白な画用紙が広大な宇宙に通じる秘密の扉です。マコちゃんに触発される子どもたちなら、身近にあるものから秘密の扉をいくつも見つけてくるでしょう。無限の可能性を子どもたちは持っているからです。

とっくの昔におとなになってしまったぼくも、自分に残された描きかけの画用紙はないか、探してみようと思います。

高成田享(東日本大震災こども未来基金理事長)

『あの空の色がほしい』は、彫刻家のオッサン先生とこの先生を慕う弟子・マコの物語。
芸術を目指すものの苦悩と喜びを語って興味尽きない。

蟹江杏の筆力、画力、描いて見事は評判通りだが、綴って読ませるを、この小説で証明しましたね。驚きました。

御子柴大三(アートプランナー)

「あの空の色がほしい」この言葉はとても心の中に響いた。
私は自然が大好きで、特に空と木が大好き。
5月春が終わりかけて、夏が来る頃になると光を通していた若葉が青くなり始めて、青葉になったりとか、秋になった時に、宇宙まで続いてるなっていうのがわかるぐらい、突き抜けてる青空が本当に大好き。だからそういうのを残そうと思って詩とか文章を書いてきたけど、色であの絶対的な美しさを閉じ込められたら本当に良いなと思う。そんな色のクレヨンとか絵の具とかあったら素敵な絵を沢山書けそうだなと思う。
そして、絵っていうのは、言葉を超えることがあるなと思った。言葉だとすでにある定義でそれをわかるように、ことばで当てはめながら、伝えないとだけど、絵は色だけで描くから、定義なんてない。見たままを描ける。それってとても自由ことだなと思う。その決まってなさがあるから、ことばを超えていくことがあるのだと思った。

最後に言葉や絵があるのって自分の孤独や悲しみ、喜びそれらを忘れないためにあるのかなと思った。だから、私はどんなに嫌になったり、文章が書けないってなっても、心のどこかで言葉で自分を表現して伝えたいって思うし、マコも描き続けたいと思うのかなと思った。自分の弱いところとか自分の内面を曝け出した文章って、ものすごい温かいもので、絵だとそういうものはとても美しいものになるのかなと思った。また、何かを生み出そうとした時、きっと自由じゃないと出来ないのかなと思った。自由は概念だから、これが自由だってことはないから難しいけど、きっと自由は、より多くの面を見ようとすることで作られていくものだと思う。その中で、これが描きたいと思える自分の中の何かを知っていくのかなと思う。そして、そう思った時、何かに囚われるからこそそれを自覚して昇華しようと表現をするのかなって思った。

あと疑問に思ったことがあって、物語の中で、芸術の世界に入ると孤独になるとか1人きりになってしまうということが、出てきてたけど、本当にそうなのかなって思った。もし、表現をする時自由であるならば、絶対に1人になることなんてあり得ないと思う。自由はさっきも述べたが概念だ。だから人と人の間にできるものだと思う。だから自由は1人ではなし得ない。絵を描いたり芸術の世界に入ったことがないから、そこの感覚はよく分からないけど、本を読んだだけだとそう思った。そして、絵を授業以外で描いたことがないから描き方とかよくわからないけど、この本を読んで言葉以外にも自分の内面を表現できることがあるっていうことが分かったからやってみたいなって思った。だから絵を描いてみたい。また、自分の中を好きなように表現していくことは、「普通」や「安定」とはズレて存在するものかもしれないけど、とても豊かなものだなとこの本を読んで思ったから、必要なものだと思った。

増田楓(高校一年生)

秘密基地のような美術教室で繰り広げられる子供たちの冒険に心が躍る。

鮮やかな色彩を想像しながら、芸術家たちの世界に浸りました。

芹澤良克(映像ディレクター)

父親として、子どもとの関わり方で参考にしたいセリフばかりでした。
物語全体を通して、好きなことを続けることや双方向の愛が生まれることの希少さや大切さも改めて感じることができました。
いまに疲れてしまっている人たちにも一度是非読んで欲しいです!

唐沢知行(医師)

透明感と清涼さを感じました。描かれていることは決して「子ども向け」のことばかりではなく、むしろマコの体験する出来事そのものとしては、重くドロッとしたものも描かれているにもかかわらず、読後感として「夏休み」を感じさせるのは、軽妙な筆致のなせる業かなと思います。

筆者の 実際の美術作品は、そこにあるものを真に捉えようとする眼差しがありつつ、表現された作品そのものからは明るさと純朴さを憶えさせると感じているのですが、そういったsignifiant – signifiéの関係性という点で、『あの空の色がほしい』と筆者の美術作品は一致していると感じました。

なにより、読みやすかったです。
水が流れるように、違和感なくサーッと読める作品でした。

美術作品は、そして小説は、更にきっと芸術はそもそも、「言語」の一種なんだな、と思いました。自分は日本語以外の言語で、「うまく話せているな」と感じるとき、または「なんだかうまく話せないな」と悩まずに話せているときは、頭の中でとらえた現象をそのままその言語に写し取るときです。一度日本語になってしまったものを他の言語に訳そうとするときは、本来日本語からもう一度「頭の中の現象」を経由する必要があるので、そのために必要な情報を想像や情報収集で補うか、または日本語の眼差しでとらえたものを(頭の中を経由せず)他の言語で表現するような、ちぐはぐな表現を作り出すしかありません。そういった意味で、必至は絵画という言語のネイティブでありながら、小説という言語でも見事に世界を切り取ったのが、『あの空の色がほしい』という作品なのかなと思います。僕はアーティストではないですし、小説も書かないので想像するしかないのですが、「あら、画家さんはアーティストだから、やっぱり小説も書けるのね」という話ではないはずだと思いますので、これは決して簡単なことではないでしょう。「いつしか「言葉を使ってするドローイング」に夢中」になれること自体が、そしてその作品が違和感なく読めるものになっているということ自体が、小説という言語に対する努力と才能、そしてこれまでの環境が積み重なった結果なのだろうと思いました。

心に残る表現にたくさん出会いました。心に残る表現にたくさん出会いました。きっとそれは、筆者が私たちに伝えたかったことで、そして同時にそれは、これまで筆者の人生に登場してきた様々な人たちが蟹江さんに伝えてきたことなのだと思います。

渡会慧(2歳児の父親)

あの空の色がほしい
蟹江杏 著

判型単行本 46
ページ数224ページ
ISBN978-4-309-03188-0
Cコード0093
発売日2024.05.30(予定)
本体価格1,980円(税込)
出版社河出書房新社

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蟹江杏 ANZ KANIE

画家。東京都出身。
「NPO法人3.11こども文庫」理事長。
「自由の森学園」卒業。ロンドンで版画を学ぶ。

美術館、全国の百貨店や画廊で個展を開催。絵本やエッセイなど著書多数。
2022年7月、トヨタ 「MIRAI」(長野トヨタ)のラッピングカーの為に作品を提供。BMW ジャパンのエコカー「i3」のラッピングや、JTA(日本トランスオーシャン航空)のイリオモテヤマネコ・デカール機、洋菓子舖ウエストなど企業とのコラボレーションも多数手がけている。

東日本大震災以降は、被災地の子どもたちに絵本・画材を届ける活動や、福島県相馬市に絵本専門の文庫「にじ文庫」を設立。文部科学省復興教育支援事業のコーディネーターをつとめるなど、全国の子どもたちとアートをつなぐ活動を行なっている。被災地でおこなった子どもたちへの活動は、震災後10年の特番として、NHK BS1スペシャル「10年目の約束~福島の子どもたちが描いた”未来”~」で紹介された。

また、これまでのすべての活動に対し雑誌「pen」クリエーターアワード2021「日本と世界を変えていく、2021年最も輝いた7組」で審査員特別賞を受賞。2023年、絵本「ハナはへびがすき」(福音館書店)が「第14回ようちえん絵本大賞」を受賞。

Copyright © Anz Kanie. all rights reserved.

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